重なる手のぬくもりに、目を細めている。
忍人から差し出されたそれに、千尋は声を失ってただ彼の顔を見上げていた。
深い夜の色合いの瞳が、彼女を柔らかく迎え入れる。
「おし……ひとさん?」
「まずは戻ろう」
手を引かれ、歩き出す。その歩みは、千尋に合わせたようにゆっくりで、ただそれだけの事が、千尋の涙腺を緩ませる。
「目覚めて、君がいなくて……心がしんと冷えたんだ」
忍人が、ぽつりぽつりと、歩みながら語る。
「俺の隣に君がいるのが、当たり前になっていたんだな……」
ふ、と自嘲の笑みを浮かべ。
「そんな事がある訳がない、君はこの国の王、そして俺はその国の民である、それだけなのに」
「忍人さん」
千尋の口はやっと動き出した。まだ滑らかさに欠けているが、相手の名を紡ぐ。
「私……あなたに、こうして隣にいて欲しいって、ずっと思っていました」
「千尋?」
歩みを止めた彼女に、訝しげに忍人も足を止める。
「私がそんな事を願うのは間違ってると思うし、そもそも、願う資格もないってわかっているんです、でも、忍人さんがいてくれたら、幾度も思いました……」
ぽろぽろ、と。
零れ出す言葉は止まらない。
「でも、私……」
「千尋」
忍人は手を伸ばしていた。
「無理に喋る必要はない、泣きたいなら泣けばいい、誰も君を咎めはしない」
「だけど」
「いいから」
ゆったりと金の髪を撫でる。そして、ずっと自分が、心の底でこれを――彼女だけを求めていたのだと、痛いほどに感じた。触れる髪から伝わる感触が、指先を、そして全身の細胞を喜びにさざめかせている。
「生太刀の話をさせてください」
やがて落ち着いた声で千尋が言った。
「いくたち?」
聞き慣れぬ言葉に、忍人は眉を顰める。
二人はまだ、抱き合ったままだった。忍人の手は静かに千尋の髪を撫で付けていたし、千尋の手は忍人の背に回され、もう離さぬとでもいうように、衣を掴んでいる。
「破魂刀の本当の姿です」
「破魂刀の? あれはまだ、豊葦原にあるのか?」
「あります」
そうして千尋は、破魂刀が豊葦原が荒れ、荒魂となった話を忍人に聞かせた。それは、王宮の蔵奥深くに仕舞われた破魂刀が、千尋を呼んだ事から始まった。
刀に宿る男女の姿をした魂は、千尋の手による浄化を望んだが、王たる少女に危険なものを近づけるのをよしとしない官僚や大臣達がその話を千尋の耳に入らぬように伏せ、千尋はなかなかこの事実を知る事がなかったのである。
「破魂刀の話を伝えてくれたのはある采女でした」
その采女は吉備の出で、布都彦とも親しい家の出身だった。布都彦が国を取り戻す戦で活躍した事もあり、元は有力な豪族である吉備からも宮廷に幾人も仕える事が出来るようになり、そのうちの一人が彼女で、千尋の傍仕えとして、王がなかなか耳に入れる事の出来ぬ話をこっそり伝えてくれる役を務めてくれたのである。
「彼女は布都彦から私の事を聞いていたらしいんです、それで色々と力になってくれました」
「成程」
采女から聞いた千尋は、那岐の手を借り、蔵へこっそり出向き、破魂刀を浄化した。そして、現れた生太刀は、天鹿児弓や天羽羽矢と並ぶ霊力に満ちたものだった。
「振るものに命を与える刀、そう風早は言っていました」
「風早が?」
千尋は頷く。
「ずっと中つ国で失われたと思われていたんだそうです、それがどういう経緯なのか、忍人さんの手にあった」
「俺は……」
忍人は目を閉じた。
「あの刀には、恐らく黄泉路と呼ばれる処で会った、俺は手にしていた剣も折れ、もう此処までと思っていた時に、どうやらうとうとしてしまったらしい」
その夢か現かの狭間で、忍人は破魂刀に会った。現れた黒衣の男女は、忍人に何を望むかと聞いた。望みを叶えた時、彼の命も尽きる、と。
「死は美しい乙女の姿で舞い降りる……破魂刀はそう告げた」
「乙女」
千尋が呟く。
ふるり、震えたその身を、忍人はしっかり抱き寄せた。
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